「タンジュンプリオッ(13)」(2025年10月03日) 現場の周辺にいた地元民が大勢集まって来て、けが人を運び出すのを手伝った。しかしそ の中には死体も少なくなかった。乗客の中には死亡した連れに覆いかぶさって泣き崩れて いる女性もいた。たいしたけがを蒙らなかった男性や男児たちはわが身を護ろうとして車 外に逃げ出した。 大破した車両の中にはけが人や死者が入り混じっていたが、人間の力ではかれらを車外に 出すことができない。大破した車両の中を整理するための機材が必要であるのは言うまで もないものの、そんな機材を常備している列車など存在しない。その結果、救援者たちは 手をこまねいて見ているしかなかった。その間、ひとびとは列車を走れる状態に戻すこと に努めた。 大勢の人間の努力の結果、9時ごろになって列車が線路上に戻され、動くことができるよ うになった。列車は32人の重傷者をクマヨランに運び、死者の遺体は担架でコタの病院 に運ばれた。 警察が事故現場に急行して捜査を開始し、乗客の証言を集めた。車両の中ほどに座ってい た二等車乗客のひとりはこう証言した。「不審なことは何もなかったが、突然急制動がか けられたから、何かが起こったと思った。止まった時、窓の外に脱線した別の客車がある のが見えた。激しい衝撃が3回起こって車体を揺らした。車内の乗客はみんな外へ逃げ出 そうとし、ドアが塞がれているのを知って窓から外へ出ようとした。」 この大事故の原因になった水牛は49頭の中から逃げた3頭のうちの一匹で、プリオッヴ ェフで彷徨していた者であることが警察の捜査で判明した。この事故はその水牛にとって も致命的なものになった。 1914年4月2日のDe Preanger-bodeはその事故について、「メステルコルネリス午前 6時12分発タンジュンプリオッ到着予定6時51分の運行番号255便は通常三等客車 13〜14両および6〜7両の一等と二等客車が連結される大型列車であり、三等を利用 する乗客の大半は港で働く苦力たちだ。事故の死者14人、けが人50人は脱線した三等 客車に乗っていた者たちである」と書いている その事故の記憶もまだ生々しいニ週間後に再びアンチョルのカリマティ沿いで鉄道事故が 発生した。1914年4月16日付けHet nieuws van den dag voor Nederlandsch-Indie によれば、二度目の事故はこんな内容だった。 この事故はアンチョル駅の西方5百メートルほどの場所で起こった。クマヨランを午前5 時に出た蒸気列車がカリマティ沿いを走っているとき牛と荷車に衝突し、荷車は車輪の下 に入って引きずられ、列車は最前部の二両が脱線した。牛は傷を負いながら藪の中に走っ て逃げたそうだ。 機関士のひとりはこの事故で死亡した。もうひとりの機関士が重傷を負い、乗客の中に軽 傷者がひとりだけ出た。人的被害がきわめて少なかったのは、前回の事故が教訓をもたら したからだとその記事は述べている。乗客は列車の前の方にある客車に乗るのを怖れて、 なるべく後ろの客車に乗るようになった。この事故では、脱線した先頭の客車二両はほと んど空っぽに近い状態だった。もしもその二両が乗客で一杯だったら、前回の事故のよう な人的被害が出ていたかもしれない。同紙はそう書いている。 前回の事故の時のように、物見高い群衆が事故現場に集まって来た。ずいぶん遠い所から 自動車や自転車あるいは馬車でやってくるひとびともたくさんいたようだ。野次馬が馬車 に乗って来たというわけだ。野次馬たちは事故処理を見物しながら、事故原因はああだこ うだと論じていた。その状況に警察が急きょ反応し、多数の警官を現場に送り込んだ。見 物人が事故処理の妨げにならないよう、野次馬の整理を行わせるのがその目的だった。 それらの事故をアンチョル橋のシマニスの祟りだと思ったひとも大勢いたそうだ。機関車 の運転士が美女の幻影を見たわけではないようだが、霊界の存在は人間の運命を操れるに ちがいあるまい。[ 続く ]