「標準イ_ア語はKBBIで(5)」(2025年10月17日)

ライター: 翻訳家・哲学者、アルフォンス・タルヤディ
ソース: 2012年7月6日付けコンパス紙 "Sia-sia" 

あるとき、記事を書いていたわたしはfutilityに対応するインドネシア語が必要になった
ので、ジョンMエコルズとハッサン・シャディリの英語インドネシア語辞典(1983)を開き、
kesia-siaanという語彙を得た。他のいくつかの英語インドネシア語辞典も確認して同じ
結果を得た。

そしてkesia-siaanが標準イ_ア語であるかどうかを確認しようとして、わたしはKBB
I Pusat Bahasa 第四版を開いたのである。1297ページに見出し語siaがあり、そこに書
かれたsia-sia n badarという解説を見つけた。バダルって何?

111ページにbadarの語義があった。ikan kecil-kecil seperti teri, ikan sia, ikan 
sia-sia, Stolephorus app.

わたしの知っている形容詞sia-siaはどこへいったのだろうか?わたしは辞典の中を探し
回ったが、結果はシアシアだった。percumaの語義を持つsia-siaはどこにも見つからない
のだ。ところがまたまた奇想天外、辞典の1053ページに掲載された見出し語percumaの解
説にそれが出てきた。tidak ada gunanya (hasilnya), sia-sia


KBBI第四版がsia-siaを認知していないのではなかったのだ。多分この辞典編集者が
名詞sia-siaの次に形容詞sia-siaを載せ忘れたのだろう。おかげでわたしの知りたかった
kesia-siaanが標準イ_ア語なのかどうかは判然としないことになってしまった。

そのときわたしは、かつてこのコラムに書いたnabiahのことを思い出した。あのときKB
BI Pusat Bahasa 第四版でnabiを探したが見つからず、1988年のKBBI初版を調
べたのだった。今回もわたしはそれを繰り返した。

第一版の834ページに見出し語siaの36行に渡る解説があり、その後に形容詞sia-siaが
登場した。その解説の最後のパラグラフに、kesia-siaanとはperihal yang bersifat 
sia-siaという語義と、tindakannya yang tanpa dipikirkan , akhirnya akan menjadi 
kesia-siaan semataという例文が示されている。わたしは記事にふたたび取り組んだ。

そのときわたしは「Ini yang baku」と題する、ソリ・シレガルが2012年6月29日
付けのこのコラムに書いた論説を思い出した。かれはmesjidという語彙についての議論を
友人と行い、最終的にKBBI第一版とKBBI第四版の間で標準インドネシア語という
ものが大きな変化の波をかぶっていることを見出した。

KBBIのそのふたつのエディションを制作するのに関わったひとはどのくらいいたのだ
ろうか?第一版はアントンMムリオノの編集スーパーバイズの下に92人が集められ、1
9人が編集し、4人の専門家が編集の最終仕上げをした。第四版ではデンディ・スゴノが
編集主幹を務め、データ収集は国語センターの137人と17州の17国語館および5州
の5国語事務所が携わった。

わたしの場合、わたしは標準外の語彙を使うことを心配してKBBI第一版にまで手を伸
ばしたのである。そうしてわたしは覚ったのだ。KBBI第一版であっても無駄者扱いを
してはならないということを。