「インドネシア鉄道史(7)」(2025年10月17日) NISは続いて1869年にバタヴィア〜バイテンゾルフ間56キロの鉄道建設を開始し、 1873年1月31日から運行を開始した。この路線の最北端駅はパサルイカン地区にあ るKleine Boomであり、クライネボームとはバタヴィア港税関を意味していた。つまりこ こでもプリアガン地方で産する輸出向け作物を船に積みこむための役割が鉄道にまとわり ついていたのである。この路線に最初に設けられた駅は次のようになっていた。 Kleine Boom - Batavia - Sawah Besar - Noordwijk - Weltevreden - Pegangsaan - Meester Cornelis - Pasar Minggu - Lenteng Agung - Pondok Cina - Depok - Citayam - Bodjonggede - Cilebut - Buitenzorg しかし1878年にバタヴィア港の機能がタンジュンプリオッ港に移されたことから、ク ライネボーム〜バタヴィア区間は廃線の運命をたどることになった。NISはこのバタヴィ ア〜バイテンゾルフ路線の運行で大いに潤ったそうだ。 一方その間、沿線で住民人口が増加したために駅が増やされていくとともに、1881年 にはヴェルテフレーデン駅も位置が現在のGambir駅の場所に移され、バイテンゾルフ駅舎 も建て直されて豪壮なものに変わった。バイテンゾルフの新駅舎は1881年10月5日 にバイテンゾルフ〜バンドゥン〜バンジャル路線の一部であるバイテンゾルフ〜チチュル ッ区間の運行が開始されたのに合わせて祝賀式典が催された。その路線の建設と運行はSS が行った。 既述したように、NISの業績はスマラン〜タングン区間で始まった。その区間を擁するス マラン〜ソロ〜ジョクジャ線の建設が1864年に開始され、1867年にスマラン〜タ ングン間の商業運行が始まり。スマラン〜ジョクジャ間を1872年に列車が走った。 続いてNISはバタヴィア〜バイテンゾルフ線56キロの建設を1869年に開始し、18 73年1月31日から運行を開始した。 それからしばらく経過した1894年にスマランとスラバヤを結ぶ路線の建設をNISが開 始した。このルートは既に設けられているスマラン〜ソロ〜ジョクジャ線のスマランとソ ロのほぼ中間にあるグンディ駅から、トロ(グロボガン県)〜ガブス(グロボガン県) 〜チュプ(ブロラ県)を抜けて東ジャワに入り、ボジョヌゴロ〜ババッ(ラモガン県)〜 ラモガンを経てスラバヤのパサルトゥリに至るルートになっていた。 まず最初にスラバヤ〜ラモガン区間が1900年4月1日に完成し、続いてラモガン〜バ バッ間が1900年8月15日、反対のグンディからガブスの手前のクラデナンまでが1 900年10月15日にそれぞれできあがった。1902年3月1日にクラデナンからチ ュプまでとババッからボジョヌゴロまでが完了し、チュプ〜ボジョヌゴロ間の工事が終わ って1903年2月1日に全線が開通した。 スマランから北海岸伝いにまっすぐ東のスラバヤに向けて線路を敷くのがベスト効率と思 われるにもかかわらず、どうしてNISはそうしなかったのだろうか?その理由は1882 年からサマラン-ヨアナ蒸気鉄道会社(SJS)がムリア半島地区一帯で鉄道運行事業を行って いたからだ。 北海岸沿いの農園地帯に対する鉄道輸送サービスはSJSが既に行っていたのだから、そこ に割り込んで競争するようなことを東インド政庁が許すはずもない。東インド政庁は民間 の鉄道事業について事業地区を指定するコンセッション方式で行っていたのであり、自由 競争原理は排除されていた。 NISが1918年末に公表した年間の事業実績によると、2万3千便の列車運行が行われ て総走行距離は123万キロメートルに達したそうだ。1917年の運送乗客数はほぼ4 百万人で、3等乗客が399万人を占めた。運行機材は蒸気機関車57台、客車35両、 貨車1,393両、手荷物車136両だった。その後、運送乗客数は1,380万人に達 したと1928年の報告に記されている。[ 続く ]