「インドネシア鉄道史(9)」(2025年10月19日)

NISに次いで古い歴史を持つ国有鉄道会社Staatsspoorwegen(SS)が最初に建設したのは
スラバヤとパスルアンを結ぶ全長63KMの次のようなルートだった。
Surabay Kota - Surabaya Gubeng -  Wonokromo - Waru - Sidoarjo - Porong - Bangil 
- Pasuruan

1878年5月16日に列車運行が開始されたこのルートはスラバヤ南部のシドアルジョ
〜ポロンおよびパスルアン一帯で生産される砂糖をはじめとする農産物をスラバヤ港に運
ぶのが最大の役割にされていた。

開業当初、スラバヤグブン駅は単なる乗降のための停車場だったが、1897年に格上げ
されて駅舎が建設された。スラバヤ中心部プチナンの南に位置するスラバヤコタ駅はター
ミナル乗客駅として一級の駅舎が最初から建てられていたものの、鉄道利用者の増加に伴
って改築が必要になり、1899年に建て直された。現在われわれが目にしている駅舎が
それだ。

シドアルジョ駅は当初から大型の鉄道駅であり、その後建設されたモジョクルト〜マディ
ウン〜ソロ路線とバギルからマランに向けて分岐する路線の三つが集まって来る駅として
大きい発展を示した。しかし後になってソロ〜スラバヤ線でモジョクルト〜タリッから直
接ウォノクロモに向かう線路をSSが敷き、シドアルジョ駅を通る列車の数が減少した。


パスルアンからもっと東に向けて線路が延長され、プロボリンゴに1884年に到達して
その年5月3日に初運行が行われた。その先への延長はしばらく止まっていたが、189
5年にプロボリンゴ〜クラカが開通し、クラカからジュンブル〜カリサッを経てバニュワ
ギに達したのが1903年2月2日のことだった。カリサッ駅のオープンは1897年。
この路線は今も現役で活動中だ。

クラカからはまっすぐ南下してルマジャン経由パシリアンまでの路線が先に設けられた。
ルマジャンに列車がやってきたのは1896年5月16日だった。この路線は1988年
に閉鎖された。[ 続く ]