「インドネシア鉄道史(10)」(2025年10月20日) スラバヤ〜パスルアン線に続いてSSはマランに向けて線路を敷設した。スラバヤ〜パスル アン線のバギルから線路を分岐させてBangil - Singosari - Malangへの延長工事が完了 したのは1879年で、その年の7月20日にオープニング式典が行われた。 マラン駅は1941年に改装されている。最初は線路の東側に作られた駅舎が改装後西側 に移ったために、それらの駅舎はMalang lama, Malang baruという言い方で区別されたと いう話が語られている。 現在のマラン駅はそのMalang baruと呼ばれている駅舎であり、別名でMalang Kotabaruと いう名が与えられているらしい。そのマランコタバル駅から2キロほど南に、1896年 に建てられたMalang Kotalama駅がある。マランラマ駅という言葉はきっと多義性を持つ だろうから、気を付けたほうがよさそうだ。 マランからクパンジェンへはその年のうちに延ばされたものの、そのあと工事はクルトソ ノの方から進められてきたためにクディリ〜ブリタルとマランは1896年につながった。 このマランループは次のような順路になっている。 Sidoarjo - Porong - Bangil - Singosari - Malang - Malang Kotalama - kepanjen - Blitar - Tulungagung - Kediri - Kertosono - Jombang - Sumobito - Mojokerto - Tarik - Tulangan - Sidoarjo クルトソノ駅は1881年6月25日にオープンし、クルトソノ〜クディリ区間が188 2年8月13日に開通した。さらにトゥルンガグンへの運行が1883年6月2日に開始 されている。トゥルンガグン〜ブリタル〜マランはそれからだいぶ後になってしまった。 SSがフォルステンランデンをスラバヤにつなげるために本腰を入れて建設した路線は下の ようなルートを通った。 Surabaya Kota - Surabaya Gubeng - Wonokromo - Waru - Sidoarjo - Tulangan - Tarik - Mojokerto - Sumobito - Jombang - Kertosono - Nganjuk - Caruban - Madiun - Ngawi - Sragen - Solo Jebres シドアルジョからタリッ経由でモジョクルトまでを往復する蒸気列車の開業は1880年 10月16日。線路はさらに延長されてクルトソノに1881年に達し、翌1882年に はマディウンまで行けるようになった。1883年にガウィを通過したあと、1884年、 ついにソロジュブルスまでの全線が開通したのである。 そのようにして東ジャワと中部ジャワには各地を結び合わせる鉄道網が着々と築かれてい った。バタヴィアと西ジャワをその鉄道網に結びつける努力がそれと並行して行われたの は言うまでもない。NISの設けたバタヴィア〜バイテンゾルフ線と民間資本のバタヴィア 東部鉄道Bataviasche Oosterspoorweg Maatschappij(略称BOS)のバタヴィア〜カラワン線 は西ジャワの内陸高原部一帯に散らばる農園地帯に向かうためのステッピングストーンだ った。[ 続く ]