「インドネシア鉄道史(11)」(2025年10月21日) SSは1887年にヨグヤカルタからインド洋側最大の海港チラチャップに向けての路線を 敷設して7月20日から運行を開始した。SSがヨグヤカルタに建設したターミナル駅はト ゥグホテルの前であり、またヨグヤカルタ王宮が神秘的な観念に従って建てた白色の塔か ら7百メートルほど南に位置したのでトゥグという名称が駅名に付けられた。 その神秘的な観念とはパラントリティス海岸・パングンクラピヤッ・ヨグヤカルタ王宮・ ムラピ火山を結ぶ軸をヨグヤスルタン国の基盤と見なす観念で、南海の女王ニャイロロキ ドゥルがそれにからむのである。スルタンと領民の結びつきのシンボルとして建てられた トゥグの塔と王宮の間に、SSの設けた鉄道駅が割って入る形になった。王宮とトゥグの塔 の関係をオランダ人が切断したと一部の王族や貴族たちが問題視したのである。 オランダ人は自分たちの支配権を見せつけるために、そのような政治性を持たせて鉄道駅 をそこに設けたのだという噂がひとびとの間に広まった。それがオランダ人の意中を読み 当てていたのかどうかはわからないものの、それが原因で対オランダ反乱に至るようなこ とにはならなかった。つまりトゥグ駅建設に反抗的な論を唱えた王族たちは結局被支配の 座に安住したということをこの話は物語っているようにも聞こえる。 NISのルンプヤガン駅はトゥグと王宮を結んで作られるラインからほんの少し外れた位置 に建てられていて、そんな批判のしぶきを浴びることにはならなかったようだ。NISがヨ グヤカルタ王宮の神秘軸を知っていてその軸を外していたのであれば、SSの傲慢さは事実 だったということになるのかもしれない。 とは言うものの、SSはそこの土地に無理やり駅を設けるようなことをしておらず、駅の用 地をスルタンハマンクブウォノ7世から借地しているのである。トゥグ駅から南下すれば マリオボロ通りがあり、ヨグヤカルタ中心街の商業地区を通って王宮とアルナルンに達す ることができる。また東インド政庁レシデン官邸やフレデブルフ要塞もアルナルンの手前 にあるのだ。町の中心部に交通の便をもたらすために鉄道駅がベストの位置に建てられる のも合理的なことにはちがいあるまい。 ヨグヤカルタ州自然保存館の記録には、トゥグ駅は最初貨物駅として使用が開始され、1 905年から乗客駅として使われるようになったと記されているそうだ。そうであるなら チラチャップ港に届いた貨物をNISのスマラン〜ソロ〜ジョクジャ線にリレーする役割が トゥグ駅のトップ機能だったという解釈になるだろう。チラチャップ港に上陸した人間が スマランやスラバヤへ行く場合、いったいどんなルートをたどってルンプヤガン駅に行っ たのだろうか?[ 続く ]