「インドネシア鉄道史(15)」(2025年10月25日) スカブミからチアンジュルに向かうとランプガン駅のすぐ手前に全長686メートルのト ンネルがあり、ボゴール〜バンドゥン区間では他にバンドゥンの近くにもうひとつあるだ けなので、珍しいためにエキゾチックさを感じさせてくれる。このトンネルは、SSがバイ テンゾルフ〜バンドゥン線を建設した際にオランダ東インドで初めての鉄道トンネルとし て1879年に着工され、1882年に完成した。 ランプガンという地名は鉄道がもたらしたものだという説がある。オランダ時代に列車が このトンネルに近付くと機関士が毎回Steek lampen aan!と叫んで乗務員に灯りを点ける ように促した。ステーク ランプナアンという言葉のランプナアンをプリブミはそこの地 名として使うようになった。ただし発音がちょっと変わってランプガンになったというの がその由来譚だ。 SSが鉄道建設工事計画をまとめあげる際、スカブミからチアンジュルへの直進を邪魔して いるクヌンKeneng山系をどう扱うかという問題に直面した時、オランダ人ボホマンがトン ネルを掘るよう提言したそうで、その人物がランプガントンネルの生みの親だったとされ ている。 幅4メートル高さ6メートルのこのインドネシア最古の鉄道トンネルは天井部分が崩れた ために1998年3月13日に列車運行が停止され、修復作業が終わったのが2000年 8月25日で、9月1日からバンドゥン〜スカブミ間の列車運行が再開された。ところが 2001年3月12日にまた崩壊事故が起こり、再び鉄道の運行が停止してしまった。 このトンネルと直接関係のないボゴール〜スカブミ間のローカル列車運行が2006年に 停止したという話は、多分テクニカルな問題でなくてマクロの視点から国鉄当局が判断し た結果だったのではあるまいか。 ランプガンポス部落の住民のひとりは、「1982年まで毎日鉄道でチアンジュルの学校 と家の間を往復した。みんなは蒸気列車のことをsi Kuongと呼んでいた。機関車の鳴らす 汽笛がクオーンクオーンと聞こえたからだ。シクオンは毎日定刻にランプガン駅を発車し た。遅れたことは一度もなかった。」とコンパス紙記者に語っている。クオンに乗ってチ アンジュルに着いたら煤煙でいつも顔が黒くなっていたそうだ。 バンドゥン駅のオープニングは1884年5月17日に行われた。二日間繰り広げられた 祝祭でバンドゥンの町はたいへんに賑わった。プリアンガープランターズと呼ばれたバン ドゥン周辺の大農園主たちは鉄道を使ってバンドゥンの町を訪れるようになった。 1894年にSSがバイテンゾルフ〜バンドゥン〜バンジャル〜ジョクジャ線を開通させて 11月1日からバンドゥン〜スラバヤ間の鉄道を使う往来が始まると、1896年にスラ バヤで開かれた砂糖農園主の業界団体会議で決まったプログラムに従って、サウカープラ ンターズと呼ばれる中部ジャワと東ジャワの砂糖工場農園主たちがチャーター列車でバン ドゥンにやってきた。 バンドゥン駅は1909年に駅舎が拡張された。SSの建築デザイナーのひとりFJAクザン が作ったデザインの駅舎をわれわれはいまバンドゥン駅に見ているのである。 バンドゥン周辺の農園地帯で収穫される物産を港に送るために、SSは支線網を建設した。 1918年にランチャエカッからジャテイナゴル〜タンジュンサリ〜チタリへ、1919 年にチクダパトゥ〜ダユコロッ〜マジャラヤへ、1921年にダユコロッ〜バンジャラン 〜チウィデイへと線路が延ばされていった。 それらの支線網から運ばれてくる物産は一旦バンドゥン駅周辺の倉庫に置かれた。バンド ゥン市内のチバンコン、チクダパトゥ、コサンビ、キアラチョンドン、ブラガ、パシルカ リキ、チロヨム、アンディルなどのエリアに倉庫が建てられて輸出商品の物流を支えた。 鉄道がバンドゥンにやってきたことによって、バンドゥンを中心にするパラヒヤガン地方 の経済は伸び上がりを示し始め、その中心地バンドゥンにヨーロッパ人や華人が移住して 大都市へと発展して行くことになった。[ 続く ]