「インドネシア鉄道史(16)」(2025年10月26日)

SSは首都圏の鉄道運行の要になったバタヴィア〜バイテンゾルフ線を直接運営することを
望み、1913年11月1日にNISからこの路線を買い取った。イ_ア語ウィキペディア
には1877年からそれを希望していたと書かれている。ひょっとしたらバタヴィア〜タ
ンジュンプリオッ線のいざこざが原因だったのだろうか?

SSはバタヴィア〜バイテンゾルフ路線の電化を1930年に完了させた。バタヴィア〜マ
ンガライ区間は1927年に電化が終わっていたものの、マンガライ〜バイテンゾルフ間
は3年間も放置されたようだ。大臣がメステルコルネリス〜チカンペッ区間を先に電化さ
せようとしたのが原因だったいう解説をイ_ア語ウィキペディアの中に見ることができる。


オランダ東インドでの鉄道路線電化の皮切りはタンジュンプリオッ〜バタヴィア〜メステ
ルコルネリス区間だった。SSは1923年に電化工事を開始し、1925年にそれを終え
た。つまりバタヴィア〜バイテンゾルフ路線として見るなら途中まで電化されたわけで、
その後ガンビル〜マンガライ区間が1927年に電化され、それから3年間止まってしま
ったということになるだろう。

オランダ東インドにおける鉄道電化の曙はメダン〜ブラワン港路線でデリ鉄道会社が信号
機の電化トライアルを1924年に行ったことに始まるらしい。そのトライアルは成功し
たというのに、デリ鉄道会社は同社鉄道網のどの路線も架線工事を行わないまま鉄道事業
を独立したインドネシア共和国に移譲した。そのためにバタヴィアでSSが行ったタンジュ
ンプリオッ〜メステルコルネリス区間が電車走行のスタートになったのである。

今のインドネシアで電車が走っているのはジャボデタベッと呼ばれる首都圏とヨグヤカル
タ〜ソロ区間だけだ。ジョクジャ〜ソロの電車運行は2021年2月10日にスタートし、
ヨグヤカルタ駅(別名トゥグ駅)とソロジュブルス駅間を電車が走るようになった。さら
にソロジュブルスからパルルまで電化区間が延長されて、2022年8月17日からヨグ
ヤカルタ〜パルル間65.4KMを電車が走っている。

ジョクジャ〜ソロ間のコミュータ列車はクダプティ号と命名されて1963年から走って
いた。列車の編成はディーゼル機関車にけん引された4〜5両の客車から成っていたが、
クダプティ号は補修部品が入手できなくなって1980年に運行を停止した。そのころコ
ミュータという言葉はまだ一般化していなかったから、実質上はそうであっても世の中は
そういう観念でクダプティ号を見ていなかったはずだ。

コミュータ列車という感覚のものが登場したのは1994年だった。ヨグヤカルタ〜スラ
カルタを走るPrambanan Ekspres号がその年の5月20日からローカルコミュータ列車と
して運行を開始している。プランバナンエクスプレスが短縮されてPrameksがその愛称に
なった。これもディーゼル機関車が客車を牽引する方式だったが、機関車の老朽化に伴っ
てINKA製ディーゼル発電機関車が2006年から混じるようになった。

そのディーゼル発電機関車は元々INKAがフランスのBNとオランダのHOLECの協力下に首都
圏電車網のために製造した電車であり、128台が生産された。プラメクスに使われたの
はBN/HOLEC型電車をディーゼル発電方式に改造したバージョンだった。BN/HOLEC電車は最
初首都圏で使われていたものの問題が多発し、2014年ごろから首都圏では日本製中古
電車への入れ替えが進められ、最終的に首都圏コミュータラインを走る電車は全数が日本
製中古電車に入れ替えられたそうだ。[ 続く ]