「インドネシア鉄道史(20)」(2025年10月30日) ガルッ県の南部地方は肥沃な土壌に恵まれて茶・ゴム・キニーネなどの農園事業が活発化 していたことから、ガルッ駅からチカジャンへの線路延長が計画されて1926年から工 事が開始され、1930年8月1日に列車の運行がスタートした。 ところがガルッ〜チカジャン路線28KMは1942年に日本軍が線路を撤去して運び去っ たという情報がイ_ア語ネット内にあり、またチバトゥ〜ガルッ〜チカジャン路線は19 82年に経済性の問題で閉鎖されたと述べているものとが混在している。ガルッ〜チカジ ャン線の閉鎖は1982年11月、そしてチバトゥ〜ガルッ間はその3カ月後だった。そ の解説に従えば日本軍によるガルッ〜チカジャン区間の線路撤去はなかったことになる。 2022年になって、チバトゥ〜ガルッ区間の列車運行が3月24日から再開された。し かしガルッ〜チカジャン区間は線路があるにもかかわらず、列車運行は再開されないまま 今日に至っている。 1946年にはスカルノ=ハッタの正副大統領が夫人を伴ってガルッの町を鉄道で訪問し ている。そのころ、チバトゥ〜ガルッ〜チカジャン線はチカジャンに向かう観光路線とし て人気を集めていた。 チカジャン駅舎は標高1,246メートルの場所に建てられており、インドネシアで一番 高い位置にある駅舎だ。チクライ山を望むこの駅舎にはガルッから列車が一日4便運行し て来た。しかし運行が閉鎖されてから放置された駅舎の屋根は今や崩れ落ちている。 インドネシア独立後にこの路線が運行されていたころ、チカジャン駅発の列車にはゴム・ 茶葉・ジャガイモ・キニーネ・ラサマラなどの貨物と共に乗客も大勢が乗っていたそうだ。 ラサマラとは中国語で細青皮と書かれる香木で、木材としての利用価値も持っていた。 しかし路線が閉鎖されて長い歳月が経過したいま、チカジャン地方ではもうそれらの産品 が生産されなくなって、地元から出荷されているのは野菜類だけになっている。 チカジャン駅がオープンしたころ、チカジャン駅を出る列車と正装したオランダ人の姿を 写した写真や記事がオランダ語のさまざまな広報や記録文書に掲載されたそうだ。その背 景にはチクライ山が鎮座していた。当時のオランダ人がいかにチカジャン駅に誇りを抱い ていたかをそれが証明しているという解説もある。 チカジャン駅がインドネシアで一番高い駅舎だとすると、そのひとつ手前のチスルパン駅 は標高1,215メートルで二番目に高い駅舎になる。その間には高さ30メートルの鉄 橋があり、1928という数字が刻まれている。1928年に完成したものだろう。今や その鉄橋の上はコンクリートで固められ、歩行者やオートバイが通行している。 標高612メートルのチバトゥ駅にはジャワスマトラで最大の蒸気機関車デポが設けられ て、7百人のテクニシャンが毎日100〜150台の蒸気機関車の手入れや修理を行って いた。駅周辺に大きな窓と高い天井の家屋が多数建っているのは、その時代の名残だそう だ。バタヴィア・スマラン・スラバヤなどから地理的に遠く離れたチバトゥにまで鉄道が やってきたおかげで、文化的に純プリブミ地域だった場所にヨーロッパ文明の一片がもた らされたと言えるだろう。[ 続く ]