「インドネシア鉄道史(21)」(2025年10月31日)

タシッマラヤ〜シ~ガパルナ間17.8KMの路線は最初民間からのコンセッション申請で
始まった。シ~ガパルナは竹細工産業で有名な土地であり、また路線が通る周辺地区にも
たくさん農園があってコーヒー・ゴム・キニーネ・茶などが生産されていた。ところがコ
ンセッションを与えられた民間資本が工事を開始しなかったのだ。そのためにSSが乗り出
すことになった。

当然、SSはタシッマラヤ駅を通過する本線からの支線を設けることになる。山地の真った
だ中を走るこの路線に14カ所の駅が設けられたから、駅と駅の間の距離は短いものにな
った。SSは1910年3月に工事を開始して1911年6月1日に公式オープンを果たし
た。しかしこの路線も日本軍が1943年に線路を撤去して運び去ったまま現在に至って
いる。

シガパルナ駅舎は警察署になった。シガパルナの町では線路跡にタシッマラヤ県営水道会
社の大型送水パイプが設置されている一方、タシッマラヤ駅から分岐する線路の跡地は密
集住宅地内の狭い路地に変わった。路地を出た線路跡地は道路になってパサルに入る。通
りの名称もJl Pasar Rel(レール市場通り)となっている。

かつて列車が渡った数本の鉄橋はしっかりと残されている。とはいえ、鉄橋の上は送水パ
イプを通して水が流れているのだ。こうなってしまえば、そこに再び線路を敷くわけには
いかないだろう。タシッマラヤ〜シ~ガパルナ路線を復活させる日がもしもやって来る場
合、オランダ時代のルートが再現されることは起こり得ないように思われる。


シ~ガパルナの北側に位置するガルングン火山が1982年4月5日に大規模な噴火を起
こし、数日間火山灰が降り続け、火口の近辺では大量の砂が吐き出された。折しも、自動
車産業育成を支えるためにモータリゼーションの基盤になる道路網の建設がスハルト政権
の経済政策に活力を与え始めた時期であり、自動車専用道建設やニュータウン開発の計画
が地価を押し上げて国内経済に熱気をあふれさせていた。道路や建物の建築素材として砂
の需要が膨れ上がっていたのである。

政府はガルングン山に積もった大量の砂をその需要に当て込んだ。タシッマラヤ駅の6キ
ロほど北にババカンジャワという臨時駅を設け、そこから8キロほど西のピルサまで線路
を引いてガルングン山の中腹から砂を運び出す貨物列車を1983年に運行させた。

ところがその路線は1992年に突然閉鎖されたのだ。ガルングン山の砂はまだ大量にあ
ったし国内需要が涸れ始めたわけでもなかったから砂の採取には何も変化が起こっておら
ず、鉄道の代わりにトラックが使われるようになっただけ。ピルサの砂堆積場関係者たち
も、どうして貨物列車の運行が止まったのか、その理由を誰も知らない。結局のところ、
ババカンジャワ〜ピルサ路線も1992年に廃線と化した。線路が撤去されただけで、作
られた鉄橋やトンネルは今も残されている。[ 続く ]