「インドネシア鉄道史(25)」(2025年11月04日) 現実に、バタヴィア〜スラバヤ間を往復するEendaagsche Express(One-day Express)と命 名されたエクスプレス列車は1929年11月1日から運行を開始し、バタヴィア〜チル ボン〜プルウォクルト〜ヨグヤカルタ〜ソロ〜マディウン〜スラバヤ間820KMを13時 間30分で駆け抜けたのである。このエクスプレス列車はバタヴィアだけでなくバンドゥ ンからも運行された。 軌道幅が異なるためにSSはNISのヨグヤカルタ〜ソロ路線に乗り入れることができない。 その技術的な問題がSSのワンデイ特急列車の実現を阻んでいるのだ。そのために仕方なく、 SSはヨグヤカルタトゥグ駅からソロジュブルス駅まで自社の列車が走れるように線路を敷 いた。 この線路はNISが敷いた軌道幅1435ミリの線路の横に1067ミリの距離を開けても う一本線路を並べ、SSの列車もその路線を通れるようにしたものだったと解説されている。 普通は一対2本のレールが並行して置かれている鉄道線路が、そこだけは三本レールにな っていた。やってきた日本軍はきっと笑いながらその一本を撤去したことだろう。 1912年に開始されたチカンペッ〜チルボン路線工事は1914年に開通した。途中の ジャティバランからインドラマユに向けて19KMの支線が作られ、1912年9月15日 に運行が始まった。ずっと後になってジャティバランからカランアンプルまでの18KM区 間が設けられ、1926年5月1日に完成した。ところがSSは6年後にその区間を閉鎖し ている。採算性がたいへん劣っていたのが思惑外れだったらしい。ジャティバラン〜イン ドラマユ線は1973年にインドネシア国鉄によって閉鎖された。 インドラマユ市内中心部でチマヌッラマ川からほど近い場所に建てられたインドラマユ駅 舎はいま駅員の子孫が住んでいる。コンパス紙記者が2016年にインタビューしたその 住人は運行が廃止されるころまで列車でジャティバランへよく行っていたと物語った。イ ンドラマユ発の列車には、カニ・小エビ・チュエ魚などの海産物がたくさん積まれていた そうだ。 SSはチルボンプルジャカンからプルプッへの工事を継続する。SCSはSSにたいへん協力的 で、チルボンプルジャカン駅舎をSSに使用させている。SCSはバタヴィアへの列車乗り入 れを希望していたようだが、それが実現したのかどうかはよくわからない。 1916年7月1日、チルボン〜プルプッ75KMとクロヤ〜プルウォクルト〜パトゥグラ ン51KM区間が完成し、その両区間を結ぶパトゥグラン〜プルプッ32KM区間の工事は1 916年の年末に終了した。チカンペッ〜クロヤ間293KMは1917年初から運行が始 まったのである。[ 続く ]