「インドネシア鉄道史(26)」(2025年11月05日)

その開通によってバタヴィアやバンドゥンからスマランやスラバヤへ行く鉄道の便は大幅
に向上したはずだが、バタヴィア〜スラバヤ間の旅程は1日に短縮されたのだろうか?も
しそうであれば、SSが商品ラインに加えたワンデイ特急列車のもたらすインパクトはあま
り画期的なものにならなかったのではあるまいか。

このワンデイ特急列車はすべての客車が一等車になっており食堂車が連結されていた。時
間を惜しむひとびとは金で時間を買うことを主義にしていただろうから、この列車運行は
SSに大きい利益をもたらしたにちがいあるまい。SSは昼間走るワンデイ特急列車だけでな
く同じスタイルの夜行列車Java Nacht Expressも1939年から運行させた。がっぽりと
稼げるゴールデンルートであったればこその商品化ではなかったかという気がわたしには
するのである。

それらのすべては1942年の日本軍ジャワ島占領で消滅してしまった。日本軍がインド
ネシア全土の鉄道線路ゲージを狭軌に統一し、そして各地で異なるオペレータが運行させ
ていた路線を一括して統御管理したために、植民地時代にオランダ人が行っていたバタヴ
ィア〜スラバヤ間の列車運行は北岸を東西に走るルートに変わってしまった。

日本軍の目には愚かなオランダ人という印象が映ったかもしれないが、それは基盤に置か
れた目的とコンセプトの違いによってもたらされた枝葉の現象でしかない。人間の賢愚と
いう基準をそこにあてはめるのは奥行きの浅い思考を示しているだけかもしれない。


インドネシア国鉄は今でもSSの始めたワンデイ特急路線を引き継いでビマ号やアルゴスメ
ル号をそのルートで走らせてきた。どちらも821KMの距離を10時間22分で走り抜け
ているそうだ。客車は全席がエグゼクティブクラスとコンパートメントスイートになって
いて、コンパートメントスイートの座席は寝台になる。

植民地時代にゴールデンルートだった商品をインドネシア国鉄は今も継続しているわけだ
が、相変わらず黄金の卵になっているのだろうか、それともそれは遠い昔へのノスタルジ
ーのなせるわざなのだろか?

オランダ時代のワンデイ特急路線を走るビマ号の運行はインドネシアが独立したあとの1
960年代に開始された。どうやらビマ号はワンデイ特急の跡を継いだと言うよりもJava 
Nacht Expressを後継したと見るほうが正確なのかもしれない。1967年6月1日に運
行を開始したビマ号は寝台を備えた夜行列車だったのである。最初はジャカルタ〜ジョク
ジャ〜ソロ〜マディウン〜スラバヤというルートを17時間かけて走行した。

ビマ号のために東ドイツの鉄道車両製造メーカーであるWaggonbau Gorlitzに発注された
車両は1964年から1966年にかけて逐次輸入された。客車は一等車と二等車があり、
一等車は広いコンパートメントと広い通路を備えていて、乗客はワイドな窓が提供する美
しいパノラマを心ゆくまで眺めることができた。コンパートメント内には衣服タンスと洗
面台が備えられ、進行方向に向いた座席は折り畳みベッドになった。二等車は一等車に比
べてコンパートメントも通路も狭く、コンパートメント内のベッドは三段になっていた。
通路には喫煙所が設けられていた。

車体が青色に塗られていたのでBimaという言葉がBiru Malamとバクロニムされて人口に膾
炙した。元々のビマというのはインドの物語マハバラタに登場するヒーローの名前だ。

1980年代ごろまでビマ号は機関車1台、一等客車2両、二等客車2両、食堂車、発電
車1両、手荷物車1両という列車編成になっており、一回の運行で乗客120人を輸送で
きる能力を持っていた。[ 続く ]