「インドネシア鉄道史(27)」(2025年11月06日) ビマ号の客車にはスチュワードとスチュワーデスが各一名乗務して乗客へのサービスを行 った。食堂車のテーブル配置はレストランの形態になっていて追加料金システムが用いら れた。鉄道料金の中で最高金額になっているビマ号の乗車券には無料飲食物のサービスが 含まれており、頼んだ物の金額が無料分を越えると追加料金が発生するシステムになって いたのである。 ビマ号の料金が高いのは運送機関が一流ホテル並みのサービスを提供しているという考え 方を根拠にしていた。しかもビマ号に乗れば乗客は移動と宿泊を同時に享受できるのであ る。1970年ごろの一等車料金は6,750ルピアで、ガルーダ航空のジャカルタ〜ス ラバヤ料金6,650〜7,425ルピアと遜色ないレベルだった。 2018年の料金は39.5〜49.5万ルピアになっていて、ガルーダ航空料金の42 〜74万ルピアよりは割安感があったように思われる。 ビマ号の豪華な一等寝台車が社会妬視を招くことから国鉄は1980年代に寝台のない一 等客車に入れ替えた。ところがルーマニアから輸入された客車の座席は座り心地が悪く、 座席の方向転換すらできない。おかげで鉄道史上最悪の一等客車という評価がその客車に 奉呈される結果になった。 ビマ号に使われなくなった寝台車と食堂車は大統領や政府要人のための特別列車用として 運用されていたが、大統領が鉄道で移動することがほとんどなくなった今、大統領列車は 観光用チャーター便に使われている。 1976年ごろ、ビマ号を腐敗が襲った。駅での乗車券販売が減少したにもかかわらず、 どの便も豪華なコンパートメントの中が満員になっていたのだ。切符を買わないで乗り込 んだ乗客が正規料金の半額を乗務員に渡し、乗務員はその金を自分のポケットにねじこん で目をつむった。 そんな乗客たちが豪華な寝台車の中を汚した。コンパートメントの中が落書きだらけにさ れたのである。資本主義に心酔している人間にはその種の社会妬視に実感が湧かないかも しれない。幼稚さの中に包まれていても、かれらの心中では嫉妬と憎悪が熾火のように燃 えていた。 1973年ごろビマ号の人気は高く、切符を買いたいひとびとが駅の窓口で列を作ってい た、とビマ号ファンだったひとりが書いている。その当時、ビマ号の座席は14席が国会 議員のためにリザーブされていた。ところが議員用リザーブ席は毎便空席が出ていたので ある。 議員が電話で予約したにも関わらず出発時間までに来なかったのだろう。駅の切符販売窓 口では売り切れと言われて諦めて帰ったひとの数人が本当は乗ることができたのに、とそ の筆者は残念な現象について物語っている。ビマ号の車内は走るホテルであり、映画上映 や音楽、そして礼拝時間の案内までしてくれるサービスにいたく感激していたそうだ。 そんなビマ号の中で生まれた赤児がいた。1972年にブカシ〜カラワン区間を走ってい る時の誕生だった。親はその子にビマという名前を与えた。[ 続く ]