「インドネシア鉄道史(29)」(2025年11月08日) 対岸にあるマドゥラ島南岸部にはマドゥラ蒸気鉄道会社Madoera Stoomtram Maatschappij (略称MadSM)が1897年に全長225KMの鉄道路線を敷き、島内南岸部の産業地帯には 東端のスムヌップ県カリアガッ港と西端のバンカラン県カマル港にどこからでも到達でき る便宜がもたらされた。カリアガッからパナルカンへの渡海航路を経てパナルカン港駅か らジャワ島側の鉄道に乗れば、ボンドウォソどころかジュンブル、プロボリンゴ、パスル アン、さらにはスラバヤまで行くことができた。スラバヤから船でカマルに渡るだけで、 またマドゥラの自宅に鉄道で戻ることができるようになっていた。 ボンドウォソ駅舎は今でも重厚感あふれるインディッシュエンパイア様式で市内イマムボ ンジョル通りに建っている。いまはボンドウォソ鉄道博物館になっているが、博物館にな る前も駅舎はきれいに維持され、切符売場では国鉄の列車乗車券が販売されていた。そこ で切符を買ってカリサッ駅やその近辺のローカル駅へ行けば、列車に乗れるのである。 ボンドウォソには死の鉄道貨車という話が語り伝えられている。1947年11月23日、 NICAはボンドウォソ一帯で捕らえた独立運動ゲリラ百人を貨車でスラバヤへ送った。窓の ない有蓋貨車3両に詰め込まれたプリブミゲリラたちは飲食物を一切与えられず、暗く暑 く通風すらない貨車の中で240キロの旅を強いられたのだ。スラバヤで貨車扉の錠が開 かれたとき、車内にいた者のほとんどが瀕死状態になっており、その間に十人を超える死 体が横たわっていた。そのとき使われた死の貨車は今も保存されていて、博物館の中に置 かれている。 2004年に閉鎖されたカリサッ〜ボンドウォソ〜シトゥボンド〜パナルカンの廃線巡り を2016年にコンパス紙記者がルポした。そのころまだ博物館になっていなかったボン ドウォソ駅舎を廃駅の中でもっとも美しく維持されている駅だと記者は高く評価した。そ してシトゥボンド駅を目の当たりにしてがっかりした。汚く乱雑なありさまの駅舎の一部 を国鉄は貸しスペースにしているようだ。 1974年からプラジェカンの駅長を務めていたスロソさんの未亡人に会うことができた 記者は昔話をいろいろと聞かせてもらった。ジュンブル〜パナルカン一帯ではPrajekan, Panji, Wringinanomなどの製糖工場が操業しており、鉄道を頼みの綱にしていたそうだ。 その路線の運行廃止が製糖産業を打ちのめしたことは言うまでもない。 一方、クラカからルマジャンを通ってパシリアンに至る支線が設けられて、1896年5 月16日にオープンした。 Klakah - Grobogan - Sukodono - Lumajang - Tempeh - Condro - Pasirian [ 続く ]