「インドネシア鉄道史(30)」(2025年11月09日) 続いてSSはクラカ〜ジュンブル線のランビプジからバルンを経由してプグルに至る路線と バルンからアンブルに至る路線を1913年に敷いた。ただしこの路線は軌道幅が600 ミリのミニ鉄道だった。 Rambipuji - Kaliputih - Gumelar - Balung - Tutul - Kasiyamlor - Kapuran - Puger Balung - Glundengan - Dempok - Wuluhan - Kesilir - Ambulu さらにルマジャンから南東のバルンに向かう1067ミリゲージの支線が1927年に設 けられて、ミニ鉄道路線とのコネクションが作られた。 Lumajan - Tekung - Jombang - Kencong - Krebet - Kasiyamlor - Tutul - Balung この600ミリゲージ路線に関するイ_ア語ネット情報の中でこういう内容の文をわたし は見つけた。 ・・・SSは参入してくる民間鉄道会社に未開発原野を通すための鉄道サンプルとしてその 敷設を敢えて行った。ところが民間鉄道会社はミニチュア鉄道バージョンに興味を示さず、 いずれもが1067ミリもしくは1435ミリゲージの鉄道線路を敷いたのである。その 結果、SSも一旦敷いて稼働させていた600ミリを1929年に1067ミリに変更した。 ・・・ これは600ミリ路線を総入れ替えしたと言っているのだろうか、それとも違う解釈をす るべきなのか?下のようなデータが別の記事に見られるので、一部だけが入れ替えられた ように思われる。バルンから先のミニチュア鉄道は最初から最後までその姿で走っていた ように結論づけることができそうだ。下のデータは1067ミリゲージへの線路変更が1 929年に行われたということを語っているのではあるまいか。 Rambipuji - Kaliputih - Gumelar - Balung(1929) そのゲージ変更の結果、バルン〜ランビプジ間がルマジャン〜バルン路線に接続されて、 クラカ〜ルマジャン〜バルン〜ランビプジ〜バンサルサリ〜クラカという1067ミリゲ ージのループが1929年にできあがった。 2016年4月のコンパス紙に掲載されたルマジャン〜バルン地方廃線巡りルポに、バル ン住民のミスタマルさん71歳が語った話が掲載されている。 「家のそばを大きい列車と小さい列車が通っていました。ランビプジに行くときは大きい 列車、アンブルへ行くときは小さい列車。毎日列車に乗って稲を探しに行きましたよ。収 穫が終わって持ち主が仲買人に稲を売った後の水田で、こぼれた稲を拾い集めて来るんで す。それを売るんですよ。わたしの妻の家に結婚申し込みに行ったときも列車に乗って行 きました。」 [ 続く ]