「インドネシア鉄道史(31)」(2025年11月10日)

やはり最初に600ミリゲージで建設されたランビプジ〜バルン〜プグル線およびバルン
〜アンブル線の中のランビプジ〜バルン区間だけが1929年に600ミリから1067
ミリに変更されたというのが実際に起こったことだったようだ。つまるところ、600ミ
リゲージ路線は最初に設定されたランビプジ起点が途中からバルン起点に変更されたと考
えればよいのだろう。

オランダ語で書かれた東インドの鉄道に関する書物には、ランビプジ〜バルン〜プグル線
は1927年に閉鎖されたと記されている。それがランビプジ〜バルン間の鉄道線路入れ
替え工事に関係したものだったのであれば、そのことを地域の経済状況と結びつけるのは
適正を欠くことになりかねない。

既に廃線になったその地方の600ミリゲージの線路は一部がジャカルタのタマンミニイ
ンドネシアに移されて園内巡りの乗り物がその上を走っていたそうだ。今はロープウエー
が園内巡りの主役に取って代わっている。


1988年に廃駅になったルマジャン駅舎をコンパス紙記者は取材に訪れた。駅舎は貨物
発送業者の店になっている。駅舎の表口にあるガドガドのワルンに記者の目がとまった。

その名もガドガドスタシウン。ラモガン出身の女主人が営んでいるガドガドスタシウンは
1971年にオープンしてたいそう流行っていた。駅を利用する人の流れが途絶えた今で
も、客は結構やってくるそうだ。「駅のガドガド」と世間で言われていた言葉がそのまま
屋号として使われている。「ええ、名前を変える気はありませんよ。」と女主人は記者に
語った。

クラカ〜ルマジャン〜パシリン線はインドネシア独立後も運行が続けられ、沿線一帯は鉄
道輸送の恩恵をおおいに享受した。1950〜53年ごろは年間乗降客30万人、輸送貨
物2.3万トン超を記録している。しかし1988年になってルマジャン周辺地域の鉄道
網はすべて廃止され、プロボリンゴ〜クラカ〜ジュンブル〜カリサッ線だけが今は現役で
使われている。[ 続く ]