「インドネシア鉄道史(32)」(2025年11月11日)

1897年にカリサッ〜パナルカン線が開通したあと、SSは続けて辺境の地バニュワギに
向かう鉄道建設工事を開始した。この路線は次のようなルートになっていた。
Kalisat - Sumbersalak - Garahan - Mrawan - Kalibaru - Krikilan - Glenmore - 
Kempit - Kalisetail - Temuguruh - Rogojampi - Kabat - Dadapan - Banyuwangi - 
Banyuwangihaven

ガラハンとムラワンでは二件のトンネル工事が必要になるとともにその二駅間に鉄橋を三
本設けなければならず、時間と費用をむさぼる難工事を避けることができなかった。ガラ
ハントンネルは113メートル、ムラワントンネルは690メートルの長さがあり、いず
れも1902年に開通している。


カリサッ〜ムラワン30KM区間が1902年12月10日に完成してからは工事の進捗が
加速され、ムラワン〜バニュワギ間56KMは1903年に完成してその年2月2日に開通
式典が行われた。

この路線が開通したあと、バニュワギ住民の間に鉄道沿線に移り住むブームが湧きおこり、
3千家庭が鉄道駅の近くに住むようになったという話が語られている。

今でこそジュンブル〜カリサッ〜バニュワギ路線はインドネシア国鉄のメインルートにな
っているものの、建設された当初はジュンブル〜カリサッ〜ボンドウォソ〜パナルカンル
ートが本線であり、カリサッ〜バニュワギ路線は支線だったのである。各地方が歴史の中
でたどった興亡のありさまをその現象の中に見ることができる。


バニュワギの町の中心地区海岸部に位置するバニュワギ港はオランダ時代に発展した。そ
れまで栄えていた港町はムンチャルだったそうだ。ムンチャルは15〜18世紀にジャワ
島東端部を支配していたブランバガン王国の港として通商の要に置かれていたと解説され
ている。ブランバガンはジャワ島で最後まで残っていたヒンドゥ王国で、バリ島のゲルゲ
ル王国、ムンウィ王国、ブレレン王国などに服属した時代があり、当然その間に姻戚関係
が結ばれていたはずだ。

ムンチャルはバニュワギの町から25キロ南にあり、ジャワ島最南端のアラスプルウォ半
島付け根の北側に位置している。バリ文化の影響を示すブランバガン時代の遺跡がムンチ
ャルで発見されているので、ブランバガン時代のバニュワギ地方の中心が南部にあったこ
とが推測されている。

17世紀に入ってからもムンチャル港にはブギス・マンダル・ムラユ・中国・ジャワ・V
OC(Vereenigde Oostindische Compagnie)・EIC(East India Company)などの船が交易
に訪れていたそうだ。ただしバニュワギ港についても同じような話が書かれている。

バニュワギの町中のバニュワギ港に近い場所にEIC軍が建てた商館が歴史遺産として保
存されている。Inggrisanと名付けられているその建物は18世紀にEIC軍が建てたも
のであり、そのころムンチャル港とバニュワギ港の間でステータスの変化が起こっていた
可能性を推測させている。[ 続く ]