「インドネシア鉄道史(36)」(2025年11月15日)

この路線のジャカルタ都内にある区間は現在すべてが電化されており、電化工事は201
7年にランカスビトゥンに達して4月1日にオープニング式典が行われた。それ以後はラ
ンカスビトゥンがムラッ方面に向かう在来列車のターミナル駅になり、その間を在来エコ
ノミー列車が運行している。ランカスビトゥンまで送電架線が届く前はマジャまでの電化
が終わっていて、そのころはムラッ方面に往復する在来列車とマジャまで往復する電車が
入り混じって送電架線の下をタナアバンまで走っていたようにわたしは記憶している。

タナアバンを通る路線はオランダ時代に電化が行われず、1986年からタナアバン〜ボ
ゴール線の電化が開始され、タナアバン〜ランカスビトゥン線電化工事もそのころにスタ
ートした。タナアバン駅は1987年3月30日に完全な電車駅になったとイ_ア語AIは
解説している。


ジャワ島西端の地アニエルまで鉄道が引かれたのは、アニエルが昔からスンダ海峡の要港
になっていたからだ。ダンデルスの大郵便道路もアニエルが起点になっている。ダンデル
スは米国から定期運航の汽船に乗ってアニエルでジャワ島に入国したのである。アニエル
という港はそういう地位にあったということを推測させる逸話だ。

1806年にチコネン灯台が建てられ、スンダ海峡を通行する船舶に便宜をもたらした。
アニエル港を目指す船の目印としても働いたことだろう。その灯台が大郵便道路の起点に
されたという話になっている。ただし現存しているチコネン灯台は最初の灯台がクラカタ
ウ火山噴火で消滅したために場所を移して建て直されたものであり、最初の灯台があった
位置は百数十メートルほど北東の海岸沿いだった。その場所にはいま大郵便道路原点標識
記念碑が建っている。

1900年にアニエル港の南側にオープンしたアニエルキドゥル駅舎は1980年代まで
ジャワ島最西端の駅として稼働していた。最西端というファクターが人間の興味を引くの
は事実だ。最初に建てられた駅、最南端の駅、一番高い場所にある駅・・・それらはおの
ずと、観光客の興味を引くポイントになる。

開業した当初は一日8便の列車がアニエルまでやって来た。しかしインドネシア独立後の
1960年代には朝と夕方の一日2便に減少していた。アニエルキドゥル駅にやって来る
列車はオランダ時代の木造客車4両を蒸気機関車が引く編成のままで、閉鎖される前には
その列車が一日一回だけアニエルに来ていた。[ 続く ]