「インドネシア鉄道史(37)」(2025年11月16日)

今や半ば残骸と化したものの、外壁に記されたANJERKIDULの文字ははっきり読むことがで
きる。およそ40平米の駅舎の中を鶏小屋に使っている住民もいる。以前はツバメの巣の
収穫場になっていたこともある。

駅舎の裏には機関車を方向転換させるためのターンテーブルが作られていた。今その巨大
な穴はヤシの木が一本生えている大きな池になり、ゴミで満たされている。その転車台を
構成していた線路や鉄板の姿は見えず、空っぽになっているのだ。「盗まれたんだよ。」
と住民のひとりが歯に衣着せずに語った。

正副駅長社宅と駅員用バラックが完ぺきな姿を保っているのは、それらの建物に子孫がま
だ住んでいるからだ。転車台からほど近い場所に墓が四つ並んでいる。この駅に奉職し、
この地で生涯を終えた鉄道職員がそこに眠っているのだ。

しかし残骸のようになっている駅舎のすぐ脇まで住民の建物が押し寄せていて、まるで駅
舎を呑み込もうとしているかのようだ。駅舎の西側は海岸に面しており、そこにはバレー
ボールコートが設けられている。駅の東側に住民の建物群が逼迫している。

そんな建物群の一角で子供向けの駄菓子ワルンを営んでいる女性はコンパス紙記者にこん
なことを物語った。
「何回も外国人観光客が駅を見に来ましたよ。建物をあちこち見て回って・・・。でもこ
この由来はもう知ってるんでしょう、あまりあれこれ質問しないで帰って行きました。
学校の生徒や大学生もよくここへ来ますよ。先生がそんな宿題を出すんでしょうね。かれ
らのほうが歴史についてあれこれと質問します。」

そのせいで、かの女はインドネシアの鉄道史に興味を持つようになった。自分なりに情報
知識を集めた結果、多少なりともアニエルキドゥル駅の由緒を物語ることができるように
なっている。駅舎のガイド役が務まるかもしれないが、かの女の収入源はワルンしかない
のだ。もっと歴史に興味を持つひとがたくさん駅を見にやってくれば、わたしのワルンに
寄ってもらえるのに・・・


アニエルキドゥルとアニエルロルの間は4KMしか離れていない。現在のアニエルロルはチ
ワンダン港を擁するクラカタウ工業団地の南側に隣接している町だ。ジャワ語・スンダ語
の東西南北はwetan,kulon,kidul,lor(スンダ語は北だけ別のkaler)であり、ジャワ島西
端の地名ウジュンクロンは文字通り西の果てを意味している。

面白いことに、日本人が四方山話と表現しているとりとめのない雑談をジャワ人はNgalor 
ngidul ngetan ngulonという成句で言い表わす。日本人にとっての四方とそっくりではな
いだろうか。時にそれが簡略化されてNgalor ngidulだけになることもある。南北方向が
方角を代表しているこの感覚は、ジャワ人が東西軸よりも南北軸のほうにより重いウエイ
トを与えていることを推測させてくれる。

ジャワ島西端部に鉄道が入ったことによって、その地方の人と物産の移動が活発化するよ
うになり、地域の発展が始まった。1981年に閉鎖されるまで、地元民は鉄道をよく利
用し、地元で収穫されるコメやコーヒー豆を鉄道でランカスビトゥンへ送っていたとアニ
エル住民は物語った。そうは言っても、国鉄が採算を維持できるほどのものでなかったこ
とを閉鎖という決定が示しているのではないだろうか。[ 続く ]