「インドネシア鉄道史(38)」(2025年11月17日)

ドゥリ〜タングラン線の建設工事は1896年7月5日に着手されて1899年1月2日
に開通した。最初タングラン駅は砂・サンゴ石・薪・炭などを積み出す貨物駅としての機
能を持たされた。後になって50メートル離れた塩倉庫と3百メートル足らずの距離にあ
る砂集積場まで線路が延ばされている。砂やサンゴ石の採掘作業はチサダネ川で行われて
いた。

鉄道がタングランに設けられるまで、チサダネ川で採掘される砂やサンゴ石は10〜20
M3積みの船でモーケルファール〜アンケ川伝いにバタヴィアに送られていた。しかしその
ルートにはパリンミンディ、パルンガントゥン、カリドゥルスなどの難所があり、大岩に
当たって船が沈没する事故もしばしば発生していた。タングランに鉄道を引くことは既存
の物資輸送に大幅な効果と効率の向上をもたらすものだったのである。一方、塩の内陸部
への輸送は牛車が使われていたから、鉄道はその輸送の効率アップにも大きく貢献した。


タングランの町が発展して住宅が増加するようになると、駅からの延長線路は閉鎖された。
タングラン駅自体は最初に建設されてから、ずっとその同じ場所にある。駅が活動を開始
したころ、駅周辺は空地ばかりであり、住民の家屋は数えるほどしかなかった状況が、そ
の歴史から見えてくる。

その後、ボゴール県北部からタングラン県にかけてのエリアで収穫される農産物や家畜、
あるいは鉱産物などをバタヴィア駅に輸送する機能が強まって、そのころには鉄道を利用
する乗客も増加し始めた。家畜の臭いが車内に貼り付いていて、その悪臭に閉口した乗客
の話が語られている。

タングラン駅では最初、2本の線路が入っていただけだった。その後発展して5本まで増
加したが、現在のタングラン駅には4番線までしかない。駅舎はあまり植民地時代の面影
を感じさせる印象がないのだが、タングラン市が歴史遺産に指定しているので、きっと長
い歳月を経ているにちがいあるまい。[ 続く ]