「インドネシア鉄道史(40)」(2025年11月19日) そのサクティ駅から南に89KM離れたインド洋岸のバヤまで、インドネシアを占領した日 本軍が鉄道路線を設けた。目的はバヤにあるマドゥル山(マンドゥル山と書かれているも のもある)の石炭を掘り出して北岸諸港に供給することにあり、1943年1月に工事が 開始されてその区間に9駅と5停車場、29の鉄橋が設けられた。開通式は1944年4 月1日に行われ、路線ルートは次のようになっていた。 Saketi - Jasugi - Cimanggu - Pasung - Gintung - Malingping - Cihara - Cislih - Bayah バヤ駅からマンドゥル山の炭鉱までの5KM区間には700ミリゲージのミニ鉄道が敷かれ て掘り出された石炭の輸送を行った。 サクティ〜バヤ路線は一日3百トンの石炭と8百人の乗客を運んだ。列車には三等客車と 貨車が15両つながれていた。乗客の多くはバヤの石炭採掘事業に関わったひとびとと鉄 道で働く従業員たちだったそうだ。 この路線はインドネシア独立宣言後も運行が続けられていたものの、NICAとの戦争が激化 して1946〜47年に運行が停止した。1948年に運行が再開されて1951年まで 続けられ、採算性が絶望視されて運行が完全にストップしたまま最終的に廃線になり、1 960年に鉄道施設の撤去が行われた。[ 続く ]