「ジャカルタの電車(7)」(2026年01月09日) NISがバイテンゾルフまで敷いた鉄道路線をバンドゥンへ、更に西ジャワ山岳地帯を通っ てチラチャップからヨグヤカルタへとつなげる企画が立案され、資金的に民間企業には無 理であるという判断が下されてSSがその建設工事を開始した。 1881年10月5日 Buitenzorg - Tjitjoeroeg 1882年3月21日 Tjitjoeroeg - Soekaboemi 1883年5月10日 Soekaboemi - Tjiandjoer 1884年7月8日 Tjiandjoer - Padalarang - Tjimahi - Bandung 1893年9月16日 Bandung - Tjitjalengka - Tjibatu - Tasikmalaja 1894年11月1日 Tasikmalaja - Tjiamis - Bandjar その一方で、バタヴィアとその周辺地域でNISに続いて鉄道運行事業を行おうとする第二 の民間資本汽車会社Bataviasche Oosterspoorweg Maatschappij(バタヴィア東部鉄道会社、 略称BOS)がバタヴィアからカラワンまで63KMの線路敷設工事を開始した。当時のオラン ダ人はKarawangという地名をKaravamと発音し、そう綴ったらしい。 BOSは1887年にバタヴィア〜メステルコルネリス〜ブカシ路線を開通させ、1890 年に路線はチカランまで延び、1891年にはクドゥングデ、そして1898年にカラワ ンに達したのである。カラワン駅の稼働開始は1898年3月19日だった。 1887年3月31日 Batavia BOS - Goenoengsarie - Pisangbatoe - Kemajoran - Pasar Senen - Kebon Melati - Kramat - Gang Solitude - Meester Cornelis - Tjipinang - Klender - Tjakung - Rawabebek - Krandji - Bekassie 1890年8月14日 Bekassie - Tamboen - Tjibitoeng - Tjikarang 1891年6月21日 Tjikarang - Lemahabang - Rengasbandoeng - Kedoenggedeh 1898年3月19日 Kedoenggedeh - Karavam 1898年8月4日にSSはBOSからバタヴィア〜カラワン線を買収した。バタヴィア〜バ ンドゥン間の鉄道運行所要時間を短縮するのが目的だったと解説されている。バタヴィア 〜バイテンゾルフ間はNIS、バイテンゾルフ〜バンドゥン間はSSで乗り換えが発生するの に対して、SSがバタヴィア〜カラワン線を買収した上でチカンペッ〜パダラランへと鉄路 をつなげばバタヴィア〜バイテンゾルフ〜チアンジュル〜パダラランよりも距離が短くな り、しかも乗り換えが無くなるのだ。バタヴィア〜バンドゥン北回りルートが実現したの は1906年だった。 1902年12月27日 Karavam - Klari - Kosambi - Dawoean - Tjikampek - Tjiboengur - Sadang - Poerwakarta 1906年5月2日 Poerwakarta - Tjiganea - Soekatani - Plered - Tjisomang - Rendeh - Maswati - Sasaksaat - Tjilame - Padalarang SSはさらにNISから1913年6月20日にバタヴィア〜バイテンゾルフ線を買収した。 NISの財務体質が弱いことと、バタヴィア〜バイテンゾルフ路線をSSが築いたジャワ島鉄 道路線網に組み込むことがその買収の目的だったと説明されている。その結果、それまで ピナンシア地区にふたつ建てられていたバタヴィア駅はひとつに統合される運命をたどる ことになった。[ 続く ]