「ジャカルタの電車(10)」(2026年01月12日)

タンジュンプリオッ港新駅舎は1925年4月6日にオープニング式典が行われた。その
日はSSの創設50周年記念日に当たり、おまけにその日を期してバタヴィア初の電車運行
が一緒に行われたのである。その日はオランダ東インドの鉄道分野における三つの記念日
の掛け持ちになった。タンジュンプリオッ発メステルコルネリス行きの電車が満員の乗客
を乗せて華々しく発車した。それを祝う市民がペロンを埋め、発車に合わせてラッパを吹
き鳴らしたそうだ。大晦日にブーブー鳴らすあの紙製のラッパだろうか?
1925年4月6日 Tandjoengpriok - Batavia Zuid - Kemajoran - Pasar Senen - 
Kramat - Meester Cornelis

しかし2010年代のコンパス紙にも現在のイ_ア語ネット内にもバタヴィア〜タンジュ
ンプリオッ間の電車運行が1924年12月24日から開始されたという情報が見られ、
プリオック港駅舎のオープニングがインドネシアにおける電車運行の事始めでない内容が
示されている。その反面、オランダ東インドを初めて走った電車はオランダのアムステル
ダムを本拠にするWerkspoor社製ESS3200型で、1925年から1927年まで6台が作ら
れたと解説されており、1924年にジャワ島の線路を走るのは無理だったように思われ
るのだが、誤情報はいったいどれなのだろうか?

コンパス紙の解説によれば、電気鉄道列車の黎明期にオランダ東インドを走った電気機関
車には次のようなものがあった。
3000シリーズ Swiss Locomotive & Machine Works - Brown Baverie Cie社製で乗客の高
速輸送用であり、時速90KMで3百トンの列車をけん引した。
3100シリーズ ドイツのAllgemeine Electricitat Gesellschaft社製で乗客と貨物運送に
適していた。
3200シリーズ オランダのWerkspoor-Heemaf社製で時速75KM。乗客と貨物運送用に使わ
れた。構造がシンプルでメンテナンスが容易だった。
3300シリーズ 貨物用で最大時速60KM。バタヴィア周辺部で使用された。
5400シリーズ 操車専用

2006年6月ごろ、マンガライの修理検車センターの片隅に置かれている屑鉄のような
二つの車両が世の中の関心の的になった。ひとつは1916年のオランダ製蒸気クレーン
車、もうひとつはオランダ東インドを初めて走った3200シリーズの電車だった。現場で働
いているひとびとはそれらの車両を愛称で呼んでいた。クレーン車はsi bongkok、電車は
si bon-bon。

シボンコッの最期の出動は1987年10月19日にビンタロで発生した列車の正面衝突
事故のときで、その事故は死者156人けが人数百人を出した史上最悪の事件のひとつと
言われている。シボンコッが出動する際には機材車両・照明車両・潤滑油車両・作業員車
両の4両を引いて現場に向かったそうだ。シボンコッの車体左サイドに取り付けられた銘
板には:
No.1956 FIGEE 1916  
HAARLEM - HOLLAND  
HEFVERMOGEN 15000 KG
の文字が見える。[ 続く ]