「ジャカルタの電車(11)」(2026年01月13日)

一方のシボンボンは1925年にオランダで作られ、東インドに送られてきてバタヴィア
首都圏の電車鉄道網で運行し、1976年に現役を退いた。製造したのはアムステルダム
のヴェルクスプール社だった。

そのヴェルクスプール社は1923年から電車の設計を開始し、1925年から1928
年まで6台の車両を製造して東インドに送った。1925年に東インドに届いた2台の車
両にはESS 3201とESS 3202という登録番号が与えられた。ということは製造者が付けた名
称ではないということなのだろう。ESSというのはElectrisch Staatsspoorwegenを意味し
ている。マンガライでほぼ屑鉄になりかかっていたシボンボンは2006年ごろそのESS 
3202だとされていた。

オランダ時代に撮影された写真の中にESS 3202の姿を見ることができる。1939年のバ
タヴィアヴェネデンシュタット駅構内にいた電車もそんな写真のひとつだ。ESS 3202はバ
タヴィア〜バイテンゾルフ線を運行し、バイテンゾルフデポがねぐらになっていた。

日本から輸入された中古電車が1976年にジャカルタコミュータラインでの運行を開始
したのに合わせて、それまで使われていた古い電車はシボンボンを含めてその時に現役を
退いたのである。

シボンボンは2007年に再生されてから、ESS 3201の新番号を与えられたというイ_ア
語の解説があり、ややこしいことこの上もなくなった。コンパス紙の2016年ごろの記
事にはシボンボンがESS 3201と書かれている。


ボンボンという愛称の由来にも諸説ある。警笛がボオオオンボオオオンと聞こえたからと
いうものから、車体の色と形状が当時販売されていたチョコボンボンの缶を類推させるも
のだったというものなど、いくつかあるようだ。だとすれば、ボンボンという愛称はいつ
ごろから使われるようになったのだろうか?後者の発想はオランダ人のものではないかと
いう気がわたしにはするので、植民地時代からその愛称が与えられていたのだろうか?

インドネシア国鉄がタンジュンプリオッ駅の再生を計画し、2009年4月28日にSB
Y大統領が再開オープニング式典を挙行するためにジャカルタコタ駅からプリオック駅に
向かったとき、復活したシボンボンの出番が用意された。シボンボンは2007年に完全
に再生されて、観光電車として使われながらタンジュンプリオッ駅に戻れるその日が来る
のを待っていた。

シボンボンの再生のとき、既に手に入らない部品は他の古い電車から抜き取ったものが使
われた。いわゆるカニバルを行ってシボンボンだけを復活させたのだそうだ。

シボンボンの話はそれくらいにして、鉄道電化史の方に目を移そう。バタヴィア市内に敷
かれた汽車鉄道路線の電化は次のように進められた。
1927年5月1日 Batavia Noord - Jacatra - Mangga Besar - Sawah Besar - 
Noordwijk - Weltevreden - Kebon Sirih - Gondangdia - Dierentuin - Tjikini - 
Pegangsaan - Manggarai
1930年5月1日 Manggarai - Meester Cornelis - Tebet - Tjawang - Doeren 
Kalibata - Pasar Minggoe - Tandjoeng Barat - Lenteng Agoeng - Pondok Tjina - 
Depok - Pondok Terong - Pabuaran - Bodjonggede - Tjileboet - Kebonpedes - 
Buitenzorg
[ 続く ]