「ジャカルタの電車(12)」(2026年01月14日) 実は、バタヴィア市内に建設された汽車鉄道路線はまだ他にあった。SSがバタヴィアから ジャワ島西端部のムラッやアニエルの港に向けて建設した鉄道路線がバタヴィア市内西部 を通過したのである。この路線の全線はKrenceng - Merakの支線を含めて1900年12 月20日に運行が開始された。個々の区間の開通状況は次のようになっていた。 1899年1月2日 Batavia BOS - Pasar Pagi - Angke - Duri - Pesing - Rawaboeaja - Kalideres - Poris - Batoetjeper - Tanah Tinggi - Tangerang 1899年10月1日 Duri - Tanah Abang - Palmerah - Kebajoran - Sudimara - Rawa Boentoe - Serpong - Tjisaoek - Paroeng Panjang - Tandjo - Tjikoja - Madja - Tjiteras - Rangkasbitoeng 1900年7月1日 Rangkasbitoeng - Jamboe - Tjatang - Sileboe - Walantaka - Tjihideung - Serang 1900年12月20日 Serang - Kedoengtjinde - Karangantoe - Banten - Tjilegon - Krentjeng - Tjigading - Tjiwandan - Anjer Lor - Anjer Kidul および支線Krentjeng - Merak SSはさらにランカスビトゥンからラブアンへの56.6KMにわたる支線を設けた。 1906年6月18日 Rangkasbitoeng - Waroenggoenoeng - Tjiboeah - Pandeglang - Tjimenyan - Sekong - Saketi - Sodong - Kananga - Menes - Babakablor - Laboean 1922年にSSはバタヴィア〜アニエル線のタナアバンとバタヴィア〜ボゴール線のマン ガライを線路でつないだ。 1922年8月1日 Tanah Abang - Karet -Dukuh - Mampang - Manggarai 1923年になってSSはバタヴィアBOS〜パサルパギ〜アンケ区間を閉鎖して、アンケと カンプンバンダンをつなぐルートに変更した。その時期、カンプンバンダンはバタヴィア 北駅とつながっていたから、列車はバタヴィアBOS駅からバタヴィア北駅に到着駅が変わ ったのではあるまいか。 1923年9月12日 Angke - Kota Intan - Kampong Bandan SSの蒸気鉄道路線電化はNISとBOSが敷いたルートのバタヴィア〜バイテンゾルフ間とバタ ヴィア〜ジャティヌガラ間だけで行われ、SS自身が設けたバタヴィア域内ルートは電化工 事が行われなかったということのように見える。 NISのバタヴィア〜バイテンゾルフ線は1930年に全線電化が完了した。その後20世 紀の終わりごろにパルンパンジャンからチタヤム〜ナンボを経てチカランに北上し、チカ ランからタンジュンプリオッ港のスガイラゴア貨物駅に達するループラインの構想が作ら れ、チタヤムとナンボを結ぶ支線が1991年に建設された。ところがその壮大な構想は 通貨危機の到来とオルバ政権崩壊によって夢と化し、既に建設された支線で2000年か らディーゼル列車の運行がマンガライ〜ナンボ区間で行われた。しかしその区間の採算性 が絶望視されて、2006年に運行が廃止されている。2015年になってジャカルタコ ミュータラインがその路線の運行をジャカルタ〜ボゴール線のバリエーションとして開始 した。 2015年4月1日 Citayam - Pondok Rajeg - Cibinong - Nambo 一方、BOSのバタヴィア〜カラワン線は1925年にタンジュンプリオッ港〜メステルコ ルネリス区間の電化だけが行われた。その先の電化工事は70年後にインドネシア共和国 の国有鉄道会社が行ったのである。 1996年 Jatinegara - Cipinang - Klender - Cakung - Rawabebek - Bekasi 2017年10月7日 Bekasi - Cikarang 今現在電化されているのはチカラン駅までだ。[ 続く ]