「ジャカルタの電車(13)」(2026年01月15日) SSのバタヴィア〜アニエル線ではインドネシア共和国国鉄が次のようなスケジュールで電 化工事を進めていったように思われる。まず着手されたのがタナアバン〜ボゴール線の電 化だったようだ。1922年に連結されていたタナアバン〜マンガライ区間が1987年 に電化された。 1987年4月7日 Tanah Abang - Karet - Dukuh - Mampang - Manggarai Dukuh駅は2003年にSudirman駅に名称変更されている。またKaretの東側にBNI City別 名Sudirman Baru駅が至近距離で設けられた。この駅はスカルノハッタ空港線電車を設け たPT Railink(国鉄と空港運営事業体PT Angkasa Puraの合弁会社)が作った駅で、SH 空港線は空港からタングラン線に乗り入れてドゥリに至り、ドゥリからタナアバンを経由 してマンガライに達する路線になっている。2023年1月1日に国鉄の子会社でコミュ ータ電車を管掌しているPT Kereta Commuter Indonesiaビジネス名称KAI Commuterがレイ リンクを買収したので、SH空港線電車は現在、首都圏電車運行事業の中に位置付けられ ている。 マンガライ〜チキニ〜ガンビル〜マンガブサール〜ジャカルタコタ区間の高架線路工事が 行われて1992年に完成した。 1992年6月5日 Manggarai - Cikini - Gambir - Mangga Besar - Jakarta Kota その同じ年にジャカルタコタとタナアバンを結んでスルポンまで達する電化がなされた。 1992年 Jakarta Kota - Angke - Duri - Tanah Abang ‐Serpong タングランとジャカルタ間の電化がその次のステップになった。 1999年8月28日 Duri - Pesing - Kalideres - Poris - Batuceper - Tangerang その後スルポンから西への鉄道電化工事が続けられた。 2010年 Serpong - Cisauk - Parung Panjang 2013年4月18日 Parung Panjang - Tanjo - Cikoya - Maja 2017年4月1日 Maja - Citeras - Rangkasbitung 現在はランカスビトゥン駅が電車のターミナル駅になっていて、バンテン州のもっと西方 に向かう鉄道は蒸気鉄道のみの運行になっている。 1960年代にジャカルタ都内の電車運行は惨憺たる状態になった。1966年11月8 日のコンパス紙記事には、1965年末にコタ〜マンガライ間の電車運行が閉鎖され、1 966年も交通制限の行われたことが述べられている。1965年の鉄道利用者数は一日 当たり16,092人だった。 1970年代に入って事態を回復させる動きが始まった。1972年5月16日のコンパ ス紙は、ジャカルタの電車路線網運行を充実させるために政府が10セットの列車を外国 に発注したことが報道された。[ 続く ]