「ジャカルタの電車(15)」(2026年01月17日)

レオスタティッ電車のひとつが2003年12月12日午前3時50分に世にも奇妙な事
件を引き起こした。ボゴール駅5番線に停車していた459番電車がひとりでに動き出し
たのである。列車はチキニ駅の近くまで走り続けて停まり、そこからバックしてマンガラ
イ駅に入った。4時29分に電車は完全に停止した。

総重量170トンのその幽霊電車は15の駅を通過し、50もの踏切や線路横断路を横切
り、線路の左右が家屋で挟まれている住宅密集地帯を通り抜けて50KM超の距離を走った
というのに、事故は何ひとつ起こらなかった。

2004年に出た交通安全国家コミティの2003年度報告書には、電車が自走したのは、
ボゴール駅の線路が斜度5.45%になっており、手動ブレーキがかけられておらず、車
輪止めブロックも使われていなかったのが原因だったという調査報告が記されている。


レオスタティッ電車と同じ時期に日本製気動車の列車セットがジャカルタに到着した。こ
の車両も電車と同じ製作者が作ったものであり、部品の互換性を持たせるためにデザイン
も仕様もよく似たものになっていた。インドネシア国鉄はその日本製気動車にMCW301とい
う型式名称を与えた。

MCW301は1976〜1977年に2両編成12セット、そして1978〜1987年にそ
の改良型MCW302が2両編成56セット作られてインドネシアに送られた。それまでインド
ネシアの大地に敷かれていた鉄道線路の上を走っていたオランダ時代以来の欧米製鉄道車
両の一部に日本製MCW301ディーゼル列車が取って代わったのである。

MCW301ディーゼル列車は1977年10月1日にジャカルタコタ〜タングラン間とジャテ
ィヌガラ〜マンガライ〜タナアバン〜ドゥリ〜タングラン路線で運行を開始した。

続いてマンガライ〜ボゴール〜スカブミ区間の運行が始まり、スカブミからGandasoli - 
Cireungas - Lampengan - Cibeber - Cilaku - Cianjurという路線延長が1979年8月
21日にスタートしたものの、地面が動きやすいことからこの延長区間の運行は5年後に
閉鎖された。

1981年にはジャカルタコタ〜ランカスビトゥン〜ムラッ線で日本製ディーゼル列車の
運行が始まった。この路線は一日一回の運行で収容しきれないほど利用者が大量にいたた
め、乗客が列車の屋根や両サイドに鈴なりになったばかりか、機関車の周囲全面にも乗客
が取り付いて寸尺の余裕もないありさまで走行する姿が写真種になった。

この現象はトレインサーフィンと呼ばれているようだが、インドネシアで発生した列車の
外部に貼り付く乗客現象はインドネシア語でatapers(イ_ア語「屋根」を意味するatap
と英語の行為者を示す接尾辞-erを組み合わせたもの)と呼ばれている。1981年4月
28日付けコンパス紙はそのルートの列車運行が一日二回に増やされたことをレポートし、
屋根上乗客がいなくなることを期待していると結んでいる。

1981年5月5日からジャカルタ〜デポッ〜ボゴール線でディーゼル列車の運行が開始
されて、レオスタティッ電車と一緒に同じ路線を走って路線運行頻度をアップさせた。し
かし首都圏の電車台数の充実と全運行路線の電化が完了したのに伴ってディーゼル列車は
首都圏の電車路線から姿を消していった。


1982年、北スマトラでの鉄道運行が停止して以来10年ぶりにメダン〜デリトゥア間
で再開が行われた。投入されたのはMCW302型ディーゼル列車だった。メダンの鉄道路線網
はメダン〜ブラワン、メダン〜ビンジャイ、メダン〜プルバウガン、メダン〜トゥビンテ
ィンギ路線が次々と復活していった。

しかしメダンでの鉄道運行再開は6年しか続かなかった。日本からの交換部品や消耗部品
の入手に困難が起こったことから1988年にメダンの鉄道運行は総崩れになったと述べ
られている。

一方ジャワ島でもスマラン〜ドゥマッ〜ルンバンとスマラン〜ドゥマッ〜プルウォダディ
線、そしてソロのプルウォサリとプカロガンを結ぶ路線で運行が再開された。[ 続く ]