「スンピッ(3)」(2026年01月23日)

吹き矢に関する世界最古の文献は、フィリピンのパラワン島住民が使っているものについ
てアントニオ・ピガフェッタが1521年に書いた報告だとされている。

住民は武器として吹き矢を携帯し、1パルモ(約21センチ)を超える長さの太い木製の
矢が使われる。矢の先端には銛の穂先が取り付けられ、魚の骨が付けられて植物から得ら
れた毒が塗られている。あるいは、銛の代わりに竹の穂先が付いていて、毒が塗られてい
るものもある。矢の後端には羽根の代わりに針葉樹の小片が取り付けられている。吹き筒
の先端には槍の穂先のような鉄片が取り付けられており、矢を使い果たすとそれを使って
戦闘する。


オランダ時代のインドネシアで東インド植民地政庁がボルネオ島の脊梁山脈から南側にあ
る地方のプリブミ諸王国を平定する方針を開始したとき、植民地軍と地元民の間で戦争が
多発した。その戦争で、当時の西洋技術が生んだ最新型銃を装備している植民地軍兵士が
ダヤッ族の吹き矢をたいそう怖れた話が歴史記録に残されている。

全員が銃と銃剣で武装している植民地軍にダヤッ族はマンダウ(刀剣)と吹き矢だけで対
戦した。マカッサル・アンボン・ブギス・ジャワなどの諸種族がメインを占める植民地軍
兵士たちが毒を塗った吹き矢を怖れる度合いは、ダヤッ兵士が銃弾を怖れるよりもはるか
に大きいものだった。ダヤッ兵士は音もなく忍び寄って来て、音もなく植民地軍に吹き矢
を浴びせかけ、また音もなく姿を消した。そんな伝説が人口に膾炙したそうだ。


2001年にインドネシア共和国陸軍戦略予備軍コマンド部隊員に対するスンピッ技能訓
練が西ジャワ州カラワンのサンガブアナ山で行われ、2百人の特殊部隊兵士が吹き矢の技
術をその戦闘能力の中に持つようになった。かれらがゲリラ活動を行えば、音もなく忍び
寄って必殺の吹き矢を放ち、また音もなく姿を消すようになるかもしれない。

そのときの40日間の訓練にスンピッ技術の指導者として6人の民間人がカリマンタンか
ら招かれた。6人はダヤッ族の吹き矢に関する伝統ノウハウを何ひとつ隠すことなく軍隊
に教えた。その中のひとりが中部カリマンタン州パランカラヤに住む公務員のバンバン氏
(当時27歳)だ。

バンバンは中部ジャワ州創設記念日を祝して行われるイセンムラン文化フェスティバルの
おりに開催されるスンピッ競技大会でほとんど毎回チャンピオンの栄冠を獲得するスンピ
ッの達人である。かれがはじめて公的な大会で自分の力を試したのは1998年に地方軍
管区が開いたスンピッ大会だった。

そして自分の技術がまだまだ未熟であることを知ったバンバンは技術向上の意欲に取り付
かれてしまった。スンピッはカリマンタンの伝統武術なのである。伝統を受け継いで次の
世代に伝えていくのは、自分という存在の根源に関わる誇りを涵養することにつながる。

バンバンはスンピッの上手たちから、射ち方のコツだけでなくスンピッやダメッという道
具に至るまでさまざまな話を聞いて学んだ。そして自分でスンピッを作ってみることまで
はじめたのである。[ 続く ]