「スンピッ(終)」(2026年01月24日) 自分の力がどれほど進歩したのかを試そうとしたかれは、2001年のイセンムラン文化 フェスティバルの中で開かれたスンピッ競技大会にカプアス県代表チーム5人の中のひと りとして出場し、第三位のチーム成績を獲得した。 それから一年間、かれはスンピッの腕前を向上させるために知識を深めると共に技術を高 めるための練習に没頭した。そして翌年の大会でパランカラヤ代表チームのひとりとして 参加し、チームを優勝に導いた。それ以後、かれのチームは毎年チャンピオンの栄冠を獲 得し続けた。 2008年だけそれに失敗したのは、その年かれはパランカラヤ市長のアシスタントとし て働いていたために頻繁に出張しなければならず、それがかれの練習量を不足させたこと の帰結だった。おかげで常勝一位の最有力チームが三位に落ちた。毎日の練習がいかに大 切であるかということをバンバンはそのとき痛切に覚った。スンピッ射手を達人に鍛え上 げるには練習に明け暮れる長い歳月が必要だとかれは言う。 スンピッの達人は自分の使うダメッを熟知している。そのためには、自分の使うダメッを 自分で作るのがベストだ。良いダメッを作るのは難しい。及第点が取れるダメッを作るの に三年かかったとバンバンは打ち明けた。日々の練習もせず、他人の作ったダメッを何の 疑問も感じないで使っているスンピッ射手は大会に出てもただの賑わい役になるだけだろ うとバンバンは言う。 1970〜80年代に祖父と父がジャングルに狩に入るとき、まだ小さいバンバンも一緒 に連れて行った。かれらはイノシシやシカ、プナイ鳥などを狩った。 10歳になったころからバンバンはスンピッを携えて兄と一緒にジャングルに入って狩を するようになった。自分の身長よりはるかに長い2メートルのスンピッに粘土で作った弾 丸を込めて発射するのだ。かれの祖父と父がスンピッのさまざまな知識をかれに教えた。 祖父も父も自分が愛用するスンピッを自分で作った。 時代は変わった。もう戦争は起こらない。その一方で森林ジャングルは大幅に減少した。 狩をする者は空気銃を手にするようになった。スンピッを携えて狩をする者はほとんどい ない。スンピッの達人たちの活躍する場は競技大会が残されているだけだ。若い世代はス ンピッを忘れ去ろうとしているように見える。スンピッ競技大会ですら、参加者の間に若 い世代の姿を見た記憶がない。 パランカラヤ県スバガウ郡スバル町役場で課長を務めているバンバンは競技大会に出場す るとき、祖父が作った木製のスンピッを使う。たいていの参加者が茶色いスンピッを使っ ている中でその黒光りしている年代物のスンピッは達人の威厳を存分に発散させている。 [ 完 ]